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6.第八の実在”阿頼耶識”とは何か
古代インドの仏教の経典に、チ
ベット密教の秘典”死者の書”別名”パルド・ソドル”とよく似た内容のものがあり、それは”倶舎論”(ぐじゃろん)と呼ばれています。釈迦の教えを哲学的
にまとめた仏典の一つで、その一部に死後の生命についての考察が書かれています。書かれたのは五世紀頃で、日本では奈良時代に、南郡六宗の一派”倶舎宗”
がその研鑽にいそしんでいました。
それによると、我々人間はみな七つの”識”を持っています。”識”とは、感覚と意識の全部をいい、No.1からNo.5までの”識”は、見たり聞いたり触ったりする感覚、つまり五感です。No.6の”識”は、五感を通じて私達がつくる意識で、私達が眠ってしまうと、この1から6までの”識”に抑え付けられていた本心からの願望や恐怖などが、潜在意識の淵から浮かび上がって夢になり、私達を怯えさせ、喜ばせ、悩ませます。それは目覚めているときも、表面の意識の下にいつもあります。また、この”識”は非常に根強く、私達が死にかけても消えません。死が近づくと1から6までの”識”は、眠りの時と同じように引っ込んでいますが、悪夢や本心はかえって強く現れます。特に「死にたくない、生きたい。」という潜在要求が、最後まで絡みつきます。ところがそのあと、1から7までが途絶えた瞬間に、さらにそれらの底深く秘められていたNo.8の”識”が出てくると仏教は教えます。これが阿頼耶識で”根源、秘められた”という意味があります。
精神医学では、恐怖感は無意識から発すると見ますが、正しいのはそこまでで、深層意識の領域を前世経験まで拡大することをしないため、おのずと効果や原因究明も限定されることになります。その性質は、それが”識”である以上、認識力・判断力・思考力をすべて持っています。このNo.8は、No.1からNo.7までの能力や性格がすべて
「組み込まれている」特別な運動エネルギーを持っており、まぎれも無く”生命の一つの形”です。また、肉体の限界を超えて活動できるのですから、1から7までしか働かされなかった生前の生命より、高い次元の生命です。No.8自体は、普段無意識の底深く隠れていて、それは、C.G.ユングが言った「深層
無意識⇒集合無意識」によく似ているため、何も死後だけに経験するのではなく、今生においても経験ができるのです。例えば、瞑想などもそのテクニックの一つでしょう。
しかしより高い仏法は、ここで更に”第九識”を説きます。 ”九識”は、"AMARASHIKI"とも呼ばれ、No.8よりも深く強い実在です。それは、宇宙の真の根源であり、人間の生命の真の根源でもあります。
この”九識”が心の奥深く実在していることを感得できれば、人間は小さな自我から抜け出し、宇宙生命と一体化した真の生命感、恐れるもののない自由と歓喜に達することができます。仏教や世界宗教の普遍的根源は、この”第九識”を、何らかの形で生前に体感することから始まります。それがあり、初めて宗教と科学、そして宇宙、生命との和合が図れるのです。覚者(仏教で言えば悟りを開いた者、仏陀)は、この”九識”を体験した者のみを言います。
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7.原始キリスト教は”カルマ”を認めていた
キリスト教のオーソドックスな教義では、生命は一回限りですが、これはあくまでも現在の教会が公式にとっている教義であって、イエス自身の教えではありません。「汝ら蒔くごとし刈り取らん」とは、聖書の格言中の格言です。
イエスは言う(ヨハネ9章1~3)
イエスは道行きしとき、うまれながらの盲人を見給いたれば、弟子達の問いて言う。「ラビ、この人の盲人に生まれしは誰の罪によるぞ。己の罪によりてか親の罪によるぞ。」
イエスは答え給う。「この人の罪にしもあらず、親の罪にもあらず。神の業の現れんためなり。」
この問いからもわかるように、弟子達は、霊魂が肉体の誕生以前から存在することを知っていました。しかし、イエスの答えが、輪廻を肯定するのか否定するのか非常に曖昧で、ピントが外れている理由は、聖書が、政治的な理由によって何回も改竄され、その真意が故意に隠されたためなのです。
あなたはわかりますか?イエスがイスラエルに生まれた理由は、そこが、霊的に最も進んだ環境だったからではなく、逆に、最も邪悪で悪魔的な世界であったからです。思い起こしてください。20世紀の聖女と言われた故マザー・テレサも、問題の小国マケドニアに生まれ、自ら進んで貧困の地インドへと渡ったことを・・・・。また、チベットではダライ・ラマ14世の括仏としての化身もそうではないでしょうか。このように、輪廻転生”カルマ”の思想は、ヒンドゥ教や
仏教だけでなく、初代キリスト教の教義の中核もなしていたのです。またヨーロッパでも、古代ケルト人は輪廻転生を信じていました。
以上の事柄を元にカルマの法則を理解できれば、名を馳せた有名人として生きた過去世からでも、無名の人物としての過去世からでも、学ぶべきものは非常に多いのです。しかし、実際にそこから学ぶかどうかは、あくまでも個人の選択であり、自由意志であります。カルマによる輪廻転生においては、いかなる地位や才能もすべて手に届くところにあります。これを知れば羨望の念など無意味と悟り、宇宙の真実は、少数の富者が多数の貧者の上に成り立つものでは決して無い
ことがわかってくるでしょう。真の資産・財産とは、全ての人に平等に利用されるべきものなのです。物質の世界よりも、ずっと豊かな”精神”の世界の充実を求めるようになること、それこそが”人間復興”の真髄であり、人が人として生まれてきたことの意義とも言えるのです。
21世紀は”心=意識”の時代、すなわちすべての人が心の輝きを取り戻し、精神的な豊かさを実感して生きる時代なのです。「自分は何のために生まれてきたのだろう」 「人はどこから来て何処へ行こうとしているのか」究極ともいえる目標が、この”自己を知ること”にあり、「自ら霊的存在との関係につい
て、完全な確実性を完成すること」であります。それは言い換えれば「自分は何をなすべきか」という使命感に到達していくのです。ここで改めて自らの魂に問いかけてみてください。まず自分自身が変わることからしか周囲は、この現実の世界は、変わっていかないのです。「自分が自分が・・・・」と他人を押し退け”個”を前面に出していく時代は既に終わりました。世界と世界・人と人・情報と情報は複雑に絡み合い、私達はお互いをもっと必要とする時代へと移らなけ
ればなりません。これからは、多くの個人や団体が手を取り合い、支えあい、強調しながら生きていく社会にきっとなることでしょう。そのような新しい社会・
新しい世界を築くため、新しい意識を持った人々が確実に増えていくことでしょう。まさに未来は”覚醒した個人”がどれくらい多く立ち上がるかに懸かってい
ます。
世界平和の道は、世界各国の人達と魂(心=意識)の絆を結び合うことによって大きく開かれていくのです。今こそ、私達一人ひとりが、創造主の分身として、
その使命を果たすべき時が到来いたしました。一人でも多くの人が、偏見やエゴを捨てて自ら心を浄化し、まろやかな愛と慈悲で闇をも包む優しさを持ち続ける
ことが、地上に真の調和をもたらすものと確信するのです。
合掌