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目次
1.はじめに
2.カルマと輪廻転生の真実
3.カルマの影響から抜け出すにはどうすればよいか?
4.DNAは過去世での霊的情報も記憶している?
5.過去世の記憶はどこにあるのだろう
6.第八の実在”阿頼耶識”とは何か
7.原始キリスト教は”カルマ”を認めていた

1.はじめに

私達は新しい時代を迎えました。ここにきて世界で様々な問題が噴出しているのも、長い間信じてきた価値観や当然のように頼ってきた社会の仕組みが崩壊し、 世の中が新たな方向へ大きく転換していることの現れだといえます。まさに人類の歩みが、これまでの財力や政治力が支配してきた社会から、平和と慈愛の精神 に根ざした社会へ、大きく移行しつつあるのです。現在起こっている内外の様々な問題は、これまで隠蔽されてきたものが一気に噴き出した現象であり、新たな 時代を築いていく上で必要な、言わば”大掃除”をしているに過ぎないのです。よって何一つ恐れることはありません。


真の世界平和は、一国の元首や大統領によってつくられるものではありません。この地球上に住む私達一人ひとりの心に平和への願いが宿ったとき、初めて具現化されるものです。
”真の幸せ”とは、心の奥底から湧き出る感動であり、深い安らぎであります。絶大な権力や富・名声を手に入れ、輝かしい人生を送っているように見える人の 方が、虚しさを感じているのです。どれほど物質が豊かでも一向に幸せになれないことに、既に多くの人々が気づいています。これまでのような”物”中心の生活や生き方は、根底から見直され、改めていく必要があります。必要以上のものはいらないし、まして必要な物は与えられます。このような時代に最も必要なこ とは、私達の意識改革であり、その実践でなければなりません。そしてこのキーワードを、私は”カルマの清浄”と名付けます。

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2.カルマと輪廻転生の真実

 
カルマとは、肉体肉体感覚に基づく執着の想念が作り出した囚われの心であります。ヒンドゥ今日に端を発し、輪廻転生の原動力となる仏教伝来とともに経典が中国にもたらされ、中国語訳の作業にあたって、カルマは”業”と訳されました。それは、カルマが古代サンスクリット語それは、カルマが古代サンスクリット語で、行為・行動・アクションを意味し、人間のいろいろな行動は各種のカルマとなることを古代インド人は知っていたからです。カルマとは、肉体感覚に基づく執着の想念が作り出した囚われの心であります。ヒンドゥ教に端を発し、輪廻転生の原動力となる仏教伝来とともに経典が中国にもたらされ、中国語訳の作業にあたって、カルマは”業”と訳されました。それは、カルマが古代サンスクリット語で、行為・行動・アクションを意味し、人間のいろいろな行動は各種のカルマとなることを、古代インド人は知っていたからです。

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3.カルマの影響から抜け出すにはどうしたら良いか?

 それは中道に沿う生活に意を注ぎ、満月の如くまろやかな心を目指して安らぎのある自分を作っていくことです。自分の行為が他の人との関係において調和し ていないとき、また自分自身の中で統合されていないとき、似たような経験、または正反対の経験を引き寄せる結果となります。その新しい体験を通して学ぶ ことで、それまでに体験したことの無い適切な行為が導きだされると、元の行為によって作られたカルマ的磁力が、解除されるという仕組みになっています。


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4.DNAは過去世での霊的情報も記憶している?

 
カルマとは最近、がんの遺伝子説から遺伝子工学に至るまで、遺伝子やDNAにまつわる論議が欧米諸国をはじめ日本でも沸騰しています。マスメディアなどから受ける印象では、遺伝子の研究が最近とみに進んでいるようですが、実際には、遺伝子に関しては不明な領域のほうがはるかに多いのです。そしてこの遺伝子の概念は、カルマと一向に矛盾しないのです。すなわち、遺伝の法則もカルマに従属し、転生する霊魂は自分の要求にもっともよく答えてくれる環境を選択する場合もあれば、強いカルマの力で不利な環境下あるいは不利な肉体として生きなければならない場合もあるわけです。100%完璧な健康体を持つ人はおらず、だれでもどこかに弱点があるはずです。これがカルマであれば、弱点は一生を通して継続し、カルマでなければ比較的簡単に対処できるのです。その疾病が強いカルマである場合は、簡単には治らないケースが多いのです。

霊魂は決してバカンスのため日常に再生するわけではなく、カルマの刈取りの仕事をさせられるのであって、霊的な成長を求める我々は、無為な障害を過ごしたり、ましてや新たなカルマを想像するような生き方をしたりはしないはずです。逆境・逆縁な人は、カルマに対しても敏感で、自らのカルマを真剣に受け止めようとする傾向があると同時に、本来の故郷を幼少のころから意識し、本能的に惹かれることでしょう。反対に、そういう人が生まれた環境や集団にどっぷりと浸かっている場合は、まだカルマからの卒業は遠いということになります。このように、環境も前世のカルマが決定する場合が多く、遺伝もカルマで、兄弟によって異なる遺伝子が出現します。カルマが特定の土地や特定の人物にあれば、魂が望まなくても、不詳その土地その親の元に生まれざるを得ないのです。霊魂はすべてを知っています。個人の素質や性格は遺伝というよりは、過去世から持ち越した要素が多いでしょう。

 しかし、カルマといっても、必ずしも否定的にとらえる必要はありません。才能とか特技のように有利な点も多く、悩みの種ばかりではないものです。ヘレンケラーを思い出してください。三重苦の彼女の前世がどうであったかは別にしても、その逆境を肯定的に受け止めた時、奇跡が起こったことは、ご存じのはずです。自分の人生に紙の使命があると悟った瞬間、彼女のカルマは完全に解き放たれました。


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5.過去世の記憶はどこにあるのだろう

 精神世界では、個々の存在、集合意識、存在するすべての物の過去の記憶は、すべて赤シック・レコードとして脳の奥深く潜むといわれ、仏教では
”阿頼耶識”(あらやしき:第8層の階在意識ともいう】に残っていると言われています。)

 最近は、遺伝子工学と遺伝子組み換えが注目を浴び、あたかも現代科学がDNAの謎や遺伝子の世界のすべてを解明したかのような印象を与えていますが、実は現代科学をもってしても、遺伝子の世界はあまりよくわかっていないというのが実情です。せいぜい1%ほどを解明する検討が大体ついたという程度でしょう。これは人間の脳にしても同様で不明な点があまりに多いにもかかわらず、なんでも大脳生理学・心理学などですべてが解明できると思い込んでいると、とんでもない結果となります。輪廻転生は、仏教やヒンドゥ教などインド起源の宗教の根幹を貫く教えです。しかし現実には、悪い行いが原因で今世がこうなったと自他に言い聞かせて納得してしまい、刹那を生きる程度の信仰しか持たない人も多くいます。しかし、我々は様々な輪廻転送を形作るカルマを、現実世界において建設的に生きるための推進力・切実なパワーへと変えていかなければならないのです。それが絶対宇宙の真理より授かった私たちの使命なのです。

 真の宗教化とは、自分の過去世のパターンを知り、同じカルマ的な失敗を繰り返さないように細心の注意を払っているものを言います。過去世を知ることによって今世の意味と使命に気づき、それに沿った目標達成に向けて努力をする方もあります。重要なのは、真剣にそのように考える人がそこから何を学び、それをどう活かしていくかということです。過去世では、だれもが男か女、王様から古事記までを体験しているはずです。カルマによる輪廻転生においては、いかなる地位や才能もすべて手が届くところにあります。これを知れば、羨望の念などは無意味となるでしょう。そのように考えれば、宇宙の真実は少数の富者が多数の貧者の上に成り立つものでは決してないことがわかってきます。真の資産・財産とは、すべての人に平等に利用されるべきものなのです。

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6.第八の実在”阿頼耶識”とは何か

 
古代インドの仏教の経典に、チ ベット密教の秘典”死者の書”別名”パルド・ソドル”とよく似た内容のものがあり、それは”倶舎論”(ぐじゃろん)と呼ばれています。釈迦の教えを哲学的 にまとめた仏典の一つで、その一部に死後の生命についての考察が書かれています。書かれたのは五世紀頃で、日本では奈良時代に、南郡六宗の一派”倶舎宗” がその研鑽にいそしんでいました。

 それによると、我々人間はみな七つの”識”を持っています。”識”とは、感覚と意識の全部をいい、No.1からNo.5までの”識”は、見たり聞いたり触ったりする感覚、つまり五感です。No.6の”識”は、五感を通じて私達がつくる意識で、私達が眠ってしまうと、この1から6までの”識”に抑え付けられていた本心からの願望や恐怖などが、潜在意識の淵から浮かび上がって夢になり、私達を怯えさせ、喜ばせ、悩ませます。それは目覚めているときも、表面の意識の下にいつもあります。また、この”識”は非常に根強く、私達が死にかけても消えません。死が近づくと1から6までの”識”は、眠りの時と同じように引っ込んでいますが、悪夢や本心はかえって強く現れます。特に「死にたくない、生きたい。」という潜在要求が、最後まで絡みつきます。ところがそのあと、1から7までが途絶えた瞬間に、さらにそれらの底深く秘められていたNo.8の”識”が出てくると仏教は教えます。これが阿頼耶識で”根源、秘められた”という意味があります。


 
精神医学では、恐怖感は無意識から発すると見ますが、正しいのはそこまでで、深層意識の領域を前世経験まで拡大することをしないため、おのずと効果や原因究明も限定されることになります。その性質は、それが”識”である以上、認識力・判断力・思考力をすべて持っています。このNo.8は、No.1からNo.7までの能力や性格がすべて 「組み込まれている」特別な運動エネルギーを持っており、まぎれも無く”生命の一つの形”です。また、肉体の限界を超えて活動できるのですから、1から7までしか働かされなかった生前の生命より、高い次元の生命です。No.8自体は、普段無意識の底深く隠れていて、それは、C.G.ユングが言った「深層 無意識⇒集合無意識」によく似ているため、何も死後だけに経験するのではなく、今生においても経験ができるのです。例えば、瞑想などもそのテクニックの一つでしょう。

 しかしより高い仏法は、ここで更に”第九識”を説きます。 ”九識”は、"AMARASHIKI"とも呼ばれ、No.8よりも深く強い実在です。それは、宇宙の真の根源であり、人間の生命の真の根源でもあります。 この”九識”が心の奥深く実在していることを感得できれば、人間は小さな自我から抜け出し、宇宙生命と一体化した真の生命感、恐れるもののない自由と歓喜に達することができます。仏教や世界宗教の普遍的根源は、この”第九識”を、何らかの形で生前に体感することから始まります。それがあり、初めて宗教と科学、そして宇宙、生命との和合が図れるのです。覚者(仏教で言えば悟りを開いた者、仏陀)は、この”九識”を体験した者のみを言います。

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7.原始キリスト教は”カルマ”を認めていた

 
キリスト教のオーソドックスな教義では、生命は一回限りですが、これはあくまでも現在の教会が公式にとっている教義であって、イエス自身の教えではありません。「汝ら蒔くごとし刈り取らん」とは、聖書の格言中の格言です。
  
イエスは言う(ヨハネ9章1~3)
 イエスは道行きしとき、うまれながらの盲人を見給いたれば、弟子達の問いて言う。「ラビ、この人の盲人に生まれしは誰の罪によるぞ。己の罪によりてか親の罪によるぞ。」
 イエスは答え給う。「この人の罪にしもあらず、親の罪にもあらず。神の業の現れんためなり。」

 この問いからもわかるように、弟子達は、霊魂が肉体の誕生以前から存在することを知っていました。しかし、イエスの答えが、輪廻を肯定するのか否定するのか非常に曖昧で、ピントが外れている理由は、聖書が、政治的な理由によって何回も改竄され、その真意が故意に隠されたためなのです。
あなたはわかりますか?イエスがイスラエルに生まれた理由は、そこが、霊的に最も進んだ環境だったからではなく、逆に、最も邪悪で悪魔的な世界であったからです。思い起こしてください。20世紀の聖女と言われた故マザー・テレサも、問題の小国マケドニアに生まれ、自ら進んで貧困の地インドへと渡ったことを・・・・。また、チベットではダライ・ラマ14世の括仏としての化身もそうではないでしょうか。このように、輪廻転生”カルマ”の思想は、ヒンドゥ教や 仏教だけでなく、初代キリスト教の教義の中核もなしていたのです。またヨーロッパでも、古代ケルト人は輪廻転生を信じていました。

 以上の事柄を元にカルマの法則を理解できれば、名を馳せた有名人として生きた過去世からでも、無名の人物としての過去世からでも、学ぶべきものは非常に多いのです。しかし、実際にそこから学ぶかどうかは、あくまでも個人の選択であり、自由意志であります。カルマによる輪廻転生においては、いかなる地位や才能もすべて手に届くところにあります。これを知れば羨望の念など無意味と悟り、宇宙の真実は、少数の富者が多数の貧者の上に成り立つものでは決して無い ことがわかってくるでしょう。真の資産・財産とは、全ての人に平等に利用されるべきものなのです。物質の世界よりも、ずっと豊かな”精神”の世界の充実を求めるようになること、それこそが”人間復興”の真髄であり、人が人として生まれてきたことの意義とも言えるのです。

 21世紀は”心=意識”の時代、すなわちすべての人が心の輝きを取り戻し、精神的な豊かさを実感して生きる時代なのです。「自分は何のために生まれてきたのだろう」 「人はどこから来て何処へ行こうとしているのか」究極ともいえる目標が、この”自己を知ること”にあり、「自ら霊的存在との関係につい て、完全な確実性を完成すること」であります。それは言い換えれば「自分は何をなすべきか」という使命感に到達していくのです。ここで改めて自らの魂に問いかけてみてください。まず自分自身が変わることからしか周囲は、この現実の世界は、変わっていかないのです。「自分が自分が・・・・」と他人を押し退け”個”を前面に出していく時代は既に終わりました。世界と世界・人と人・情報と情報は複雑に絡み合い、私達はお互いをもっと必要とする時代へと移らなけ ればなりません。これからは、多くの個人や団体が手を取り合い、支えあい、強調しながら生きていく社会にきっとなることでしょう。そのような新しい社会・ 新しい世界を築くため、新しい意識を持った人々が確実に増えていくことでしょう。まさに未来は”覚醒した個人”がどれくらい多く立ち上がるかに懸かってい ます。

世界平和の道は、世界各国の人達と魂(心=意識)の絆を結び合うことによって大きく開かれていくのです。今こそ、私達一人ひとりが、創造主の分身として、 その使命を果たすべき時が到来いたしました。一人でも多くの人が、偏見やエゴを捨てて自ら心を浄化し、まろやかな愛と慈悲で闇をも包む優しさを持ち続ける ことが、地上に真の調和をもたらすものと確信するのです。

                              合掌

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