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  目次
1.ダイアナ元皇太子妃とマザーテレサの死を巡って
2.ダイアナ元皇太子妃の死は情報戦争による犠牲死
3.生涯を貧しい人々のために捧げたマザー・テレサの死
4.人々の無明と転倒を突く、マザー・テレサの言葉

1.ダイアナ元皇太子妃とマザーテレサの死を巡って
20世紀をいろいろな意味で象徴する大きな星が二つ落ちました。一つは、人々の羨望の中できらびやかに輝いていた星。もう一つは、地味ではあるが恵まれない人々に静かで強い慈光を降り注いでいた星。
これら二つの星とは、言うまでも無く交通事故で急逝された英国のダイアナ元皇太子妃の悲しい死と、その生涯を恵まれない底辺の人々に捧げつつ本懐を遂げられた聖女マザー・テレサの尊い安らかな死です。
二人の「生き方」と「死」は様々な意味で20世紀の相貌を伝えると共に、来たるべき21世紀の人間の生き方の規範として人々に末永く記憶されていくに違いないでしょう。

2.ダイアナ元皇太子妃の死は情報戦争による犠牲死
ダイアナ元皇太子妃の死は、交通事故という装いはしているものの、その本質は現代の加熱 する情報戦争を暴走する人間の欲望がもたらした犠牲死であり、その意味で最も「現代的な死」であったと思われます。その事はダイアナ元皇太子妃の弟である スペンサー伯爵が「姉のダイアナはいつかマスコミに殺されると思っていました。」との告発どうりで、それはまたスキャンダルを免れ得ないという意味でも 「現代的」でありました。
彼女の葬儀は、英国のみならず全世界の人々の哀悼と涙によって盛大に営まれました。多少のスキャンダルが無い訳ではなかったダイアナ元皇太子妃に対するこ の様な圧倒的な支持は、彼女に対して必ずしも暖かくなかった英国王室への批判を含みつつ、伝統と格式に縛られた英国王室の中で自分を貫こうとした彼女の態 度、また、単なる見せかけではなかったエイズや障害者等の救済への積極的な態度、そして彼女の死が何よりも人間の欲望と情報戦争による痛ましい犠牲死で あったと言う事によるものでしょう。人々はそこに現代においては珍しくなった「悲劇」を見たのです。その悲劇によって彼女は『神』になった感があります。
それにしても、ダイアナ元皇太子妃に死をもたらす様な「報道」とは何か。王室であっても守られるべき私生活やプライバシーはあろうものを・・・・。遠慮会釈なくそれらを暴き立てる、カメラを持ったゴロツキとも言うべきパパラッチとその写真を巨額な値段で競い買う出版報道各社の行為は、残虐非道な暴力暴行以 外の何ものでもありません。民主主義の先端に立ってマスコミが然るべき自制心を失っては民主主義は腐食するばかりです。

3.生涯を貧しい人々のために捧げたマザー・テレサの死
さて、マザー・テレサの死です。それは、誠に稀有の死であり、その生涯を信仰と人々の魂の為に捧げた真の宗教者にふさわしい死でありました。多くの人々に惜しまれての死は、キリストの死と言うよりも、釈尊の涅槃を思わせます。
そういえば、病人や行き倒れた人に対しても平等に愛を注ぎ、尽くした彼女の信仰、すなわち、それらの人々の中に「神」を見、それらの人々に尽くすことが即 ち、神に尽くす事と捉えたという彼女の信仰は、全ての凡夫に「仏」を見、その仏を自覚させようと命をかけた釈尊や最澄、空海、法然、親鸞、日蓮、道元ある いは聖徳太子、叡尊など貧しさに窮した人々を救済する為に、ボランティア施設を建立した偉人達の信仰と相通ずるものがあり、これらの真の信仰のあり方を示 して余りあるものが有るようにも思えるのです

4.人々の無明と転倒を突く、マザー・テレサの言葉
彼女の生涯について知るところの少ない私ですが、その行動と言葉は聴く者の心臓を突き刺すとともに、現代人の無明と転倒を照らしてあまりあるものがあります。

例えば、
「愛は家庭から始まる。まず、家庭の中の不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和と潤いのある家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。愛に満たされなければ、隣人を愛せません。」

この言葉は、自分に言われているようでギクリとさせられます。それこそ愛の本質を突くと共に、人類愛や人間愛といった抽象的な愛を説くことには熱心であっ ても、家庭や隣人といった具体的な愛と人を忘れ(軽蔑し)ている聖職者を始めとする私たちへの鋭い警句ともなっています。

また、「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではない。むしろ誰からも自分は必要とされていないと感ずることである。」

この言葉は、「この世に無駄な命など一つも無い。」と言う言葉と共に全ての親や教師が子供に接する上で深く肝に銘じなければならない言葉で、況や我々僧侶が、一番反省しなければならないのです。

さらに、「私は安いサリー(民族服)を二着もっているだけ。テレビもラジオも持っていない。貧しい人と一緒になる為です。貧しさこそ真の自由です。」

この言葉ほど現代人の転倒と矛盾を鋭く突くものはないでしょう。
私たちは、抱えきれないほどの物を持ってもまだ満足することなく、さらに豊かさや成長を追い求めます。その結果、多くの不自由と不満を得ていよいよ貧しく なります。そういえば、聖人、偉人と呼ばれた人達は皆、共に貧しく、しかし、心は無限の宇宙の様に広大で自由でありました。現代人である私たちは、「足 る」を知らねばなりません。

繰り返しますが、人々の中に「神」を見る彼女の信仰にこそ、今後の地球上の信仰の真のあり方であり、全ての人々が神や仏と等しい「尊い生命」を持っている と説き、そのような人格に成ることが出来るのだという希望を、確信と実践をもって私たちに教えてくださいました。最澄は「一切衆生悉有仏性 悉界成仏」と 言い、更には、空海は「即身成仏」と申しておられます。

                                     合掌

  
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