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眞日本龢法


はじめに

古来より日本人が培ってきた「所作」はいまや我が国が誇る伝統文化となり、「日本人の心」となっています。また世界の人々はそこに賞賛しています。『眞日本龢法』では、この心を純粋に継承し、形態は「温故知新」をもって、未来に存続させていくことを旨としております。

 さて、「眞日本龢法」の「龢」の意味ですが、七世紀に使用された最古の文字で、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条、
「龢(和)を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)…」の一文に記されています。
「龢」の文字には、稲「食」があり、屋根「場」があります。日本という国は、さまざまな人々が陸続と渡来し、人種や宗教、イデオロギー等の壁を越え、ともに同じものを食し共存し合う、「和の心」で構成されています。

『眞日本龢法』では、一子相伝を奥義とするも、「身心一如(心と身体は同じ)」を極意とする為、その形態は「日本仏教」の伝統的な所作を基軸に、「禅」の規範を随所に取り入れているのが特徴です。

礼儀は格式のあるものでなければなりませんが、昨今の礼儀は簡略化され、作法は形式を整えるだけの礼法となりました。

本来礼儀作法の神髄は「相手を思いやる心」でなくてはなりません。日本の儀礼は、仏教の「慈悲」と、儒学の「五徳(智・信・仁・優・厳)」が日本の「山紫水明・雪月花」といった四季を通した自然観と融合し、また調和を保ちながら『山川草木悉皆成仏 悉有仏性』といった、独自の思想に開花したものです。それを『武士道』と申します。

「武士道」とは、道元禅師がいうところの
「仏道をならふというは
自己をならふなり
自己をならふというは
自己をわするるなり
自己をわするるというは
万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは
自己の身心およひ 他己の身心をして
脱落せしむるなり
(正法眼蔵現成公案)」
つまり日本人の礼儀作法とは、相手を主体とし、己の自我を抑制する心の術でもあります。人を思う気持ちをどのように表現し伝えるかを研鑚することでもあります。

『眞日本龢法』では、相手に敬意を払う心と、自身を慎む謙虚な心を「禅」と「武士道」の所作から学び、日本人が大切にしてきた「和」の心を、最も凝縮した形として表します。美しい仕草は美しい生き方につながります。凛とした美しい所作は、緊張と和みを覚えます。『眞日本龢法』では、所作を簡素化し、臨機応変に対処する「美」こそ、最も美しい生き方の所作としております。

【許状】

入門・草伝(初伝)・行伝(中伝)・真伝(奥伝)・教師(斎号)・師範(僧名)


『眞日本龢法』の基本は「真」「行」「草」の三形にあります。
礼儀は日常生活に取り入れてこそ意味があります。

 所作が変われば身体が変わります。身体が変われば態度が変わります。態度が変われば生活が変わります。生活が変われば人格が変わります。
人格が変われば運命が変わります。運命が変われば人生が変わるのです。

『眞日本龢法』では特に食事の作法と掃除をうるさく言います。それは欲望を満たす行為から、モノや命の尊厳を知り祈り、敬意を表さなければならないと考えるからです。モノや心を磨き続ける感謝を表す作法が『龢法』なのです。








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